現役看護師 西口由美 の【妊活サポート】

現役看護師西口が医療現場の知識と経験から「妊娠できるカラダ作り」を綴ります。

私が目指すところ


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私の目指すところの始まりは、祖父の死。大好きな祖父は最期まで私に話しかけながら息を引き取った。6歳だった私は、最期に立ちあえなかった。死因は『脳梗塞』看護師でいつも強い母が「私がもっと気をつけてあげればよかった。」と泣き崩れた姿が忘れられない。「お祖父ちゃんみたいに病気になった人を助けたい」と、6歳の時、看護師になることを決めた❗

 

中学卒業後、看護師になるために進学し、夢を叶えて初めての就職先は、総合病院の小児科病棟。いいね❗夢がある❗と張りきっていた私が初めて受け持ったのは、目がぱっちりの5歳の女の子。最近、焦点が会わない。真っ直ぐ歩けないと訴え受診。診断は「脳腫瘍」場所が悪く手術もできない。すでに余命3か月…何で私が受け持ち⁉️新人には重たすぎる❗ってのが正直な気持ち。

 

彼女はあっという間に歩けなくなり…昨日出来ていたことが、今日には出来なくなり…病気は彼女の機能をどんどん奪っていった。

 

そんな日々…当然、病室は重い空気…かなり気合いを入れないと病室のドアを開けれない…何て声をかけたらいいのか…はっきりいって、仕事にいくのが嫌で、あんなになりたかった看護師の仕事も嫌になりかけていた。

 

そして幼い彼女も気付きはじめてしまった。「私、死んだらどうなるの⁉️」「寝るのが怖いからそばにいて❗」て言うんですよ。たった5歳の女の子が…

 

もうたまらなくて、病室でてよくトイレで泣いていた。「私、限界だ…もう無理だよ❗」と思い始め、笑えなくなり、彼女の部屋から足が遠のいていった。

 

そんな時、彼女のお母さんに呼び止められた。「最近、避けてますよね⁉️でもあの子は今日はあなたが来るかな⁉️今日は何して遊んでもらおうって待っています。いいですよね。あなたはあの子からも、私たちからもいつでも逃げることができる。でもね、私たちはあの子の病気から逃げれない。毎日、向き合っていくしかない。辛いし悲しいけれどこれが現実ですから。」と…

 

自分の未熟さ、不甲斐なさ、不誠実態度にただただ情けなく、彼女のお母さんの前で泣き崩れてしまった。そんな私を抱きしめ、「あの子はあなたが大好きなんですよ。痛い治療もあなたが一緒なら頑張れるって。残された時間は後少ししかないから、あの子と一緒にいてあげてください。」と。

 

それからは、「私にしかできない看護」を目標に残された彼女との時間を過ごさせてもらった。点滴をし、酸素も必要になった彼女は、一日のほとんどをベッドの上で寝て過ごすようになっていた。そんな彼女がいつも遊んでいた公園にもう一度いきたいと言い出した。主治医に伝えると当然だがあっさり断られた。

 

でも、きっと彼女の最後の願い。私はどうしても諦められず、あの手、この手で交渉。先輩看護師達からはあきれられる始末。でもなんと❗「医師と看護師が付き添う」という条件付きで許可が降りた。先輩看護師達からは、かなりのブーイングの嵐でしたが…

 

前代未聞言われた彼女の外出の日は、穏やかな秋晴れの日でした。ずっと食が細くなっていた彼女が、大好きな公園の芝生の上で、おにぎりを頬張り、久しぶりにとびきりの笑顔を見せてくれた。

 

それだけで彼女の家族も、私も最高の時を過ごせたのに、がんばり屋の彼女は、お母さん支えられながらだったけど、私に向かって歩いてくる‼️もう本当はそんな力、ないはずなのに…もう涙が止まらない‼️

 

私のところまでたどり着いて、おもいっきり抱きしめた体は本当に小さく細くなってしまっていて、また涙が溢れてくる…そんな私の涙を「もう泣かないで」と不自由になった小さな手で拭ってくれた。

 

その日が、彼女の最後の外出。最後の歩行の日になった…

 

それから、病室でたくさん絵本をよんで、たくさんお話しした。彼女が大好きだった「星の王子さま」は何度も読んであげた。「私ね、お星さまになりたい。じゃあみんなのこと、ずっと見てられるから。でもね、大切なものは目に見えないんだよ。でも寂しくないでしょ。お星さまなるんだから。会えなくても忘れないよね。」って。忘れない…忘れられない。こんなん小さいのに、一生懸命生きて、一生懸命死と向き合っている。

 

その後、言葉も奪われたけど、大きなお目めは最後までおしゃべりだった。

 

最後のお誕生会は、スタッフ総出でお部屋を飾り、お祝いした。最後の誕生日プレゼントは真っ赤なランドセル。その頃、意識もほとんどない状態だったけど、会の最中、ずっと涙を流していた彼女。私たちもみんな泣いていた。

 

それから1ヶ月後、彼女はみんなに見守られながら、静かにお星さまになった。余命3ヶ月と言わてから、1年半が経っていた。

 

看護師になって20年越えた今も、「私にしかできない看護」を気づかせてくれた彼女と出会いは宝物で、辛いとき、負けそうになったとき、いつも一緒に読んだ「星の王子さま」読み返し、星空をながめ、彼女を思い出す。

 

そして、私が目指すところは、「健康で幸せに生きるお手伝い」私にしか出来ないお手伝いで、私の母のように大切な人を亡くしたとき、「私がもっと気をつけていれば」と後悔しないよう、一人でも多くの人と関わりたい。

 

写真は彼女に頂いたナースピンと思い出の本。